Into the Wild
1**5
幸福は誰かと分かち合ったときにだけ本物となる
◆本の概要米国人作家Jon Krakauer氏による映画"Into the Wild"の原作ドキュメンタリー小説。◆まとめ/感想映画"Into the Wild"を観て、半生を海外放浪に費やした身として思わせられる部分も多く、せっかくなので原作も拝読。映画を見た後なので良くも悪くも映画内の映像・音楽・俳優などが脳内で再生されてしまうが、ドキュメンタリー風の本書から素晴らしい映像作品に作り上げたことに改めて感心する。突然人知れず度に出た主人公の足取りを追っていき、生い立ちや人間関係などの背景を挟みつつ、悲劇的な終わりに至るまでが一つの物語として書かれており、読んでいるとおのずと主人公の心情や旅の情景が浮かんでくる。本書は詳細な解説や実際の記録・若い頃の著者の無謀な経験との比較なども含めてよく取材されており、半フィクション作品として上手くまとまっている映画版とはまた違ったドキュメンタリー作品としての面白さがある。"幸福は誰かと分かち合ったときにだけ本物となる"という主人公が最後に残したメモに感情が揺さぶられる。
ピ**ー
自然への畏怖
アラスカの自然が主人公にもたらしたものは何だったのか。前半は甘い考えで自然に入ったように見えるが、死の直前に彼が何を見たのかが気になる。
D**X
無垢な魂への鎮魂歌
この本を読んでいなくてもアラスカの荒野のバスの中で餓死した若者の話を誰しも一度は聞いた事があるんじゃないだろうか。多くの人の反応は『だからどうした?』『自殺でしょ?』と言ったものでなぜ彼がそこに至ったかについて深く探ろうとは思わない。にも関わらず、彼の死は今だに多くの人々を惹きつけ毎年バスへの巡礼者は後を絶たない。その彼、Chris McCandlessの人生の旅の過程を追い同じように荒野に消えた若者たちや著者であるKrakauer本人の体験を交えて分析したノンフィクションである。内容を読んで感じるのは、McCandlessの異常なまでの純粋さ。人間社会の曖昧さや人間の弱さ、狡さを決して受け入れず理想としての平等性、公平性が現実世界に実現しない事に激しく憤りやがて過度の純粋性を求めるあまり荒野での一人暮らしを目指す。友人や恩人の忠告を受け入れ、あるいは省みる事なく自分の信じた道を突き進み、やがて自らを苦境に追い込んでいく。彼は旅の過程で様々な人間に出会い、驚くほど多くの人に影響を与える。彼と交わった人の多くは彼の頭の良さ、純粋さ、勤勉さに感銘を受け、彼への支援を惜しまない。彼には人々にそうさせる魅力、カリスマ性が備わっていたのだろう。だが、そのような暖かさや人情に触れたにも関わらず、結局彼は人間社会を許す事ができず、誰も彼が荒野に行くのを止める事は出来なかった。彼が心に一体どのような闇を抱えていたのかその点については本書を読んでも完全には明らかにならない。そして現在、いまだに多くの若者が彼の生き方に共感し全米各地からはるばるアラスカの荒野にまで足を運び彼がいた場所や空気、見たであろう風景を共有したいと願う。それはまるで現代に現れ、彼らのために殉死した新たな救世主を慕う信者のようだ。彼は死ぬ直前に『Happiness only real when shared』というメッセージを残している。著者が言うように、これは彼が放浪の末ようやく人間社会や文明を許しそこに戻る決心を示したものかも知れない。そうだとすれば、運命はなんと非情というか、それとも皮肉というべきか漸く純粋な魂が救われたその直後に彼の命を奪い去ってしまった事になる。これは純粋な魂の鎮魂歌と言えるノンフィクションである。
T**S
何度も
毎年、1回は読む本です。切ないエンディングでは有りますが、そこに到達するまでの、自分自身の葛藤や、1人の心地良さ、知らない人と作る信頼関係など、一人旅で得られる楽しさが蘇ってくる作品です。
ア**ヌ
放浪者と冒険家
1992年春、アラスカの原野に足を踏み入れ、数ヶ月後に原野に廃棄されていたフェアバンクス・バス車内で遺体となって発見された若者クリス・マカンドレスの放浪の軌跡を追ったノンフィクションである。彼自身はアラスカ行きをAdventure in Alaskaと位置づけていたようである。しかし、いわゆる冒険家達に見られる華々しさはなく、彼の行動は到達点を目指すというよりも移動そのもの、あるいは移動先での生活、殊に食生活の中に大きな意味を見出そうとしていたように思われる。彼の理想は大自然の中で自力で食物を調達しつつ、国家社会の管理を外れて生きてゆくことであった。しかしアラスカの自然の厳しさを前にして、彼は原野での滞在数ヶ月にして餓死という悲惨な最期を遂げた。人々は華々しくアピールする冒険家を賞賛しても、自己の内面に語りかけつつ自然への回帰を目指すマカンドレスのような人のことは理解も出来ず、その行動を経験不足、社会への不適応などを理由に批判的に見ることが多い。だが多くの人は少年時代に1度はマカンドレスのような理想を抱いたことがあるのではないだろうか? そして少年のほとんどは次第にその様な理想を忘れてゆく。マカンドレスはそうした夢を抱いたまま死んでいった稀な例なのだ。地球は今、自然破壊により、もしかすると滅亡に向かっているのかもしれない。文明の名のもとに一直線に破滅への道を進みたくなければ、マカンドレスのような若者のことを人はもっと理解しなければならない。クリス・マカンドレスは20世紀末のまさにキリストであってしかるべきだ。しかし何故か彼自身は放浪をはじめた頃からアレックス(アレクサンダー)を名乗り始めている。自身では荒野をさ迷うキリストであるよりも、荒野を征服し尽くすアレクサンダー大王を意識していたのだろうか。自然への素朴な憧れと同時に若者特有の倣岸が彼の心の中に潜んでいたに違いない。しかしアラスカの原野で暮らす中で彼は次第に社会や父母への敵対意識を和らげていったように思える。だが彼が原野から人間社会への帰還を決意した時、皮肉にも自然はそれを拒むかのように川の増水で彼の行く手を塞いだ。そこで帰還を急がず、原野における彼の生活基地としていたフェアバンクス・バスにとどまり、川の減水を待つ作戦に切り替えた彼だったが予想外の異変が彼を襲った。突然身体が動かなくなったのだ。食物を調達できなくなった彼は遂にフェアバンクス・バスの中で死を迎えることになるのだった。本書の著者クラックヮーは自身も若き日にアラスカ南西部を放浪した経験を持っている。その折、彼は峻厳な高峰デビルズ・サム(悪魔の親指)に挑み、命懸けの苦闘の末、遂に頂上に立つことが出来た。下山後、彼は居酒屋でデビルズ・サム登頂のことを周囲の人に話したが、人々の反応の鈍さに拍子抜けしたということだ。クラックヮーのやったことはマカンドレスと違って、むしろ冒険家の行動に近い。冒険家は瞬発力を世間に誇示する要素が多く、事前の宣伝や資金調達が必要であり、華々しいアピール・ポイントも不可欠となる。カラックヮーはデビルズ・サム登頂により自分の中の何かが変わることを期待していた。彼は内面思考者でありながら行動としては冒険家のそれをとった。従って彼は下山後、人々の無関心に戸惑い、また何一つ自分が変わっていないことに気づくのである。上記のような自己体験を持つ著者クラックヮーはクリス・マカンドレスについては理解しきれないところが多くあることを認めながらも最大限の理解を試みつつ本書を書き上げた。マカンドレスがある意味で傲慢なアレックスを名乗りつつ自然に対峙し、次第に自然の力の偉大さを知っていったのではないかとクラックヮーは考えたのではないだろうか。何故なら、マカンドレスは自身の死が近いことを知った時期の日記ではあの気負いの目立つアレックスの署名を用いず、父母がつけてくれたクリスという署名を用いているのである。死の近いことを知ったクリスは別れの言葉を記した日記を掲げて微笑んでいる自分の姿をカメラに収めてから死の床に就いたのだった。それは修道僧が神に召されるような静謐な眠りだったとクラックヮーは最後に記している。
ら**ェ
旅がしたいな~
旅は人生を自分のものにできる!そして孤独に身を置くことで自分の命と対話ができる!
B**E
A good scenario of the old "man vs. nature" theme
A fine, although depressing, book about a very idealistic young man who ventures up to live in the wilds of Alaska, without any companions, food, equipment. A good scenario of the old "man vs. nature" theme. Also, if you missed reading Tino Georgiou's masterpiece--The Fates, go and read it.
R**O
アラスカの自然、少年の勇気
裕福な家庭に愛されて育ちながらも両親の人間的弱さを許せず、優秀な成績で大学を卒業した後、かつてから魅せられていた自然の中での生活を求めて、アメリカ大陸を西へ西へ、そして最後はアラスカへと旅を続けていった青年の話です。大きく分けてふたつのテーマに分けられると思います。ひとつは、自然と人間の関係。もうひとつは親子の愛情とすれ違いです。著者自身も自然に魅せられその中で生きてきた人で、そんな著者だからこそ描ける自然の描写、自然やそこに挑むものに対する解説が丁寧に描かれています。また、青年は両親がみせる弱さと自分におしつけてくる愛情、抑圧にたえられませんでした。でも、読み進むうちに、どんなに両親が青年を愛していたかに読者は気づかされ、切なくてしかたなくなります。もし彼が生き抜いて両親と再会していたら、どんな人生になっていただろうと思わずにはいられません。最後に、ノンフィクションというジャンルから見てもこの作品の完成度は高いと思います。青年に会ったこともない著者ですが、彼が描く青年像は私の前で生き生きと生命を吹き込まれ、語り、本を読み、悩み、旅を続けていくのです。著者はこの青年のことが大好きなのだと思いますが、感情に流されることなくさまざまな角度から冷静に分析していく様子もすばらしいです。ノンフィクション作家を目指す人にも是非読んでもらいたい作品です。
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3 weeks ago
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